我が家が博物館

梁取 玲子(中央図書館)

 

 何日か前の新聞の見出しである。我が家に居ながらにして博物館を見て歩けるというIT時代を象徴している記事である。図書館も同様である。端末の前では世界中のほとんどの図書館の資料を知ることができる時代になった。コンピュータ技術の発展は、ソフト・ハードの面とも目覚しいものがある。半年経つと古くなるといわれる昨今である。データを入力し、終了のキイを押せば、そのデータは全世界にとんでしまうため、全世界に発信する立場をもっている私たち図書館員の責任は重い。IT社会はすさまじいスピードで進展しているが、そのスピードの速さに戸惑いを覚えることも多い。

 

 「そのスピードについていけないものが、文句をいうのだ」といった人がいたが、私も含め、図書館員の戒めの言葉として受け止めなくては。そんなことをここ数年強く実感するようになった。

 

 私は、この3月で34年間勤めてきたこの創価大学を退職することになった。最初から最後まで図書館という職場で働けたことは幸せであった。創価大学が開学した昭和46年当時の創価大学図書館はすべて紙による図書の記録であり、利用者の貸出記録も学生証とは別に発行された貸出証に日付印を押すという、今思えば極めてプリミティブな図書館であった。しかしそれは本学だけではなく他の大学図書館全てが同じであった。その後、カードに和文・英文ともタイプで作成するようになったが、これまた1冊の本の目録を作成するのに長時間を必要としたし、作成したカードを著者、書名、分類カードの3枚を印刷し、カードボックスに組み入れるという作業がまた大変であり、正直言って苦痛であった。大学の世界で図書館のコンピュータ化が最も早かった本当の理由は、案外この辺にあるのではないかとも思ってしまう。

 

 創価女子短期大学が開学した昭和60年、短大図書館はコンピュータによるオンライン目録を備えた図書館として世間から注目を浴びた。私は、その年に短大図書館に配属になり、平成11年までの14年間悪戦苦闘の連続であったが、本当に充実した自分の歴史を刻むことができた。

 

 平成11年4月に再び中央図書館にカムバックした。本学には3つの図書館があるが、利用者サービスの向上を考えた場合、中央図書館への機能の集中化と高度化を図るための一員として加えられた。以来6年間を図書館業務の多くの改革・改善作業に当たってきた。少し大げさかも知れないが、現在の図書館員皆で創価大学図書館を蘇らせることができたのではないか。

 

 『この書物は、わが国では最も洗練された活版印刷で定評のある精興社が最後に手がけたものであり、書き手の白洲正子さん、原カバーの志村ふくみさんのコンビが造りあげた良いものと思います。本の主題で推察するにあなたが積極的にお買いになると思えないため、贈らせていただきます。三分の一世紀に及ぶ図書館の支え、大変にお疲れ様でした。感謝を込めて・・・』本を愛する大先輩から、先日こんなお手紙を添えて本を頂戴した。まさに本物の嬉しい贈りものだった。現在では本は電子写植となり、もう活字はなくなるから最後の職人に活版刷りの本を、との話から十年に及ぶ年月をかけて誕生したその本は、書物とよぶにふさわしいものだった。

 

「名人は危うきに遊ぶ」(白州正子著、新潮社)プレゼントされたこの本を手にしたとき、なつかしさとやさしい思いが手のひらにひろがった。「本が好きだ」と思った。デジャヴさえ覚えた。このように丁寧に造りあげられた本を一冊一冊整理をして大切に保存してきたのが図書館である。これらの本を図書館で寝かせているだけで良いのであろうか。

 

「図書館は知識の宝庫、その宝の山を見つけるのは皆さんです。そのためにも毎日図書館に来る習慣を身に付けてください。新聞の見出しをみるだけでも1年たつとすごい力がついてきます。」と、創価女子短期大学の第二代図書館長の板坂元先生が、ガイダンスの折に学生に話された言葉が印象的である。寝かせているだけではなく、活用していただける利用者の存在があって初めて図書館は存在の意義が成り立つのである。

 

知識の宝庫図書館も活字離れが叫ばれて久しい現在、各図書館でも利用者の減少が目立つようになってきているが、我が創価大学図書館ではここ数年、利用者・貸出冊数とも上昇曲線を描いている。図書館員の真剣な取り組みは当然のことであるが、創立者が折あるごとに『読書というものは、いつの時代にあっても青年の取り組むべき課題である』等々、読書の大切さ、学ぶことの楽しさを教えてくださっていることの影響力があったればこそと感謝せずにはいられない。

 

開学前の視察を含めると創立者が図書館に足をはこばれた数は26回に及んでいる。昨年1月22日のご来館の折には、ついに図書館の指針を定めていただく事ができた。図書館の指針を我が指針とした学生さんが、宝の山を見つけ成長され、社会で活躍されんことを祈らずにはいられない。